手の届かない世界に羽ばたいて。

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SNSで騒がしい舞台制作はだいたい地雷原

 

 

先日、推しくんの新しい舞台を観てきました。

 

新しいと言っても続き物で、推しくんはメインを張る一人。たくさんの出番と見せ場に恵まれている姿は、見ていてこの上なく幸せな気分でした。私が推しくんに出会った作品は全然メインじゃない役だったので、そう思うと一年半でこんなにも順調にステップアップしているのは、ひとえに推しくんの『ひたむきに努力できるところ』と『愛されるところ』という、二つの魅力のおかげなんでしょうね。

 

それにしても推しくん、今回舞台の序盤で明らかに特別枠をもらっています。話の都合上別になくても問題のない身体能力を、超絶かっこよく見せつけてくるタイミングがあるんです。神かな?演出家さん神かな?身体能力が高いキャストしかいない今回の舞台で、それでもドセンで一人特別な瞬間があるの、本当に推しくんすごいな!?って思っています。見ていて周囲の見知らぬ人にプレゼンしたくなるので、もうこれ以上かっこよくならないでほしい(しないけど)。公演は今も続いているのですが、私が次に見られるのは一週間後の大阪公演です。きっと推しくんは東京序盤よりもさらに成長した姿を見せてくれるでしょう。なんせ、東京の最初3公演だけでも明らかにレベルアップしていたので。もちろん初日から気合入ってるなあって感じでしたけど、それから更に変わってきていました。「できるなら最初からそのレベルにして初日を迎えろよ」とか、人それぞれ思うことは様々でしょう。でも、私は推しくんが稽古中100%まで作り上げた自分の演技が、舞台の幕が開くことによって120%が出せるようになり、翌日には昨日の120%が100%になっていて、またその日の120%が出る……っていう限界地点を打ち破っていく様子が、応援していてすごく幸せです。決して低レベルではないので、そういう意味でも高みに上っていく一方の推しくん。私にとっては他のどの俳優さんにも負けない、自慢の推しくんです。ああ、早くもう一度観たいな。先々の予定との兼ね合いで今週末のチケットを手放してしまったのが悔しい。東京に転職して、交通費から解放されたいと思う今日この頃です。関西に住んでいて(地方在住では比較的遠征しやすい)私ですら、交通費片道分でチケット1枚分なんですよ。交通費って言う概念がこの世からなくなれば、その分チケット買うのになあ。クールジャパン推進とかなんとかの一端で、交通費の一部負担とかしてくれませんかね。

 

どうでもいい話になってきたので、今回のブログのメインについて書きたいと思います。

 

 

SNSで騒がしい舞台制作はだいたい地雷原』

 

 

最近某氏がまたやらかしましたよね。某氏、まあ2.5次元舞台に触れる機会の多いオタクは、名前と悪名の高さくらいは聞いたことがある人も多いんじゃないでしょうか。この人に関しては、やらかし癖(炎上癖)が一度や二度ではないので、いい加減業界全体で監視した方がいいんじゃないかとすら思っています。よくもまあここまで、歩く全方向火炎放射器みたいな演出(という名の原作レイプ)できるなあと。何かやらかすたびに凄まじいヘイトと信者の擁護を目にしますが、今のところ直接関わったことも実害を受けたこともない私からすると、承認欲求の強すぎる構ってちゃんだとしか思ってないです。調べる気すらないので全く知りませんが、この人って何がどうすごいんですかね?(純粋な疑問)

 

被害はない私ですが、某氏の一連の話を見ていてしみじみ感じたことがありまして。それが今回つけたタイトルそのままです。

 

ちょっと話が外れますが、そもそも前提として、舞台って『舞台だけで話が完結している』必要があると思うんですよ(オリジナル脚本はそれが当たり前に行われている(はずな)ので、ここで言う舞台っていうのは原作がある作品のことです)。舞台だけ見ても話がちゃんと始まって終わっていて、原作から削られたエピソードがあったとしても、いち舞台作品として筋が通っていないといけないというのが個人的な意見です。なおかつ、原作ファンがきちんと納得して受け入れられる形に落ち着いていることも大切ですよね。舞台だけでちゃんと成立していない、原作を知らないと意味が分からない作品って存在価値を疑うんですよ(原作と原作ファンを突き落とす某氏は論外オブ論外)。それを作って満足している脚本家は、恥ずかしくないのかと。原作を舞台用に再構築して、綺麗な落としどころを見つけて形にするのがお仕事でしょう、と思います。たまにいるじゃないですか、千秋楽後に「このキャラはこういうところが魅力で~~、ここにはこういう意図があって~~」みたいなことをSNSで声高に語り出す脚本家や演出家たち。原作を読み込んでいる人向けの隠し要素ならともかく、「そこわざわざSNSで補足しないと理解してもらえなかったの?」ってくらい初歩的な部分を解説しているのは、正直制作サイドの怠慢だと思います。物語の根源部分に対して後から説明が必要とか、どれだけ形になってないんだよって。観客の物分かりが著しく悪かったとかそういう話じゃなく、それを喜々として舞台外で話しているのが滑稽だなって、そういうことです。

 

あと、やたらめったら自分の作ったものについて(遠回しにでもこっちが察してしまうくらいには)褒める人も、小物だなあって思います。本当に良い作品だったら、評価は自ずともらえるはずです。それを、何度も何度も直接的にはないにせよ持ち上げる様子は、見ていてなんていうか、哀れだなって感じてしまいます。自分で自分のこと慰めていなきゃメンタル死ぬのかなって。もうちょっと言葉を選べばいいのに、周りに喧嘩売っているようにとられてもおかしくないようなツイートする制作サイド、本当に雑魚だなあってしみじみ思います。これに関しては、今推しくんが出ている作品の制作サイドに一人当てはまる人がいて、正直自分のフォロワーに向かってそれだけツイートしている暇があるなら、もっと他にやることあるだろって思っています。原作人気がそこそこの作品で、キャスティング的にも俳優オタクでこれ以上客席埋めるの無理なんだから、前作から公演数増やすならこうなることくらい予測できたでしょ?作品自体は素晴らしいのに、制作サイドの陣頭指揮を執る人間がなんだかなあって感じがしています。だからここの会社大きくならない(なれない)んだなっていう実感がすごい。

 

ズラズラ書きましたけど説明するのが難しいです、なんていうか、一部若干の私怨まじりなので。でも、「声高にお前が語ることで悪影響を与えているところがあるから!」っていう事案があるのは事実なんです。本当に良いものを作れているのなら、制作サイドは人前(ネット上)に出てこないで黒子に徹していてほしい。表で作品を広めていくのは演者の皆さんで、制作サイドは裏からそれを支えていてほしい。余計なことはしてくれるな、そのせいで推しくんや私の好きな原作にマイナスなイメージがついたらどうしてくれるんだ、興味を持ってくれていた人が逆に来なくなったらどうするんだって、完全に外野である私がヤキモキしています。

 

 

 

そう、私は部外者です。部外者なんで誰にも文句を言う資格はないでしょう。
でも、観客に見捨てられたら舞台って存在価値ないですし。

たくさんの人に観に来てくれというのなら、自分自身を見直してみてはいかが?っていう話でした。

 

 

 

 

ところで、これを書いてすぐにこのエントリを読みまして。テーマは違っても通じる部分があると思いました。

 

orangestar.hatenadiary.jp

 

物語は描かれた時点で作者の手を離れても大丈夫な独立した作品であってほしいと、摂取する側の私は思います。いつまでたっても補足が必要な舞台も、周りで作った人間が「すごいでしょ!」って騒ぎ立てて鬱陶しい舞台も、推しくんには関わってもらいたくないですね。